911は粗雑な手品ショーだった。おかげで人々は利口になった。もうマスメディアは世論操作に使えない。そんな2010年の1984年2月12日。入浴中に読む本として入手したのは「インフルエンザをばら撒く人々」である。

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Re: 1984-2-12
tatu
Posted on 2010/2/23 4:06
『「馬の骨」団員向け課題図書』として、早速読ませていただきますww
「生きた鳥インフルエンザウィルスが混入されたワクチン」
発見・・・というニュースをネットで拾ってから、周囲の人にもワクチン接種をはやまらないように呼びかけてます。
しかもこのワクチン製造元はバク☆ター社
(血液製剤事件で有名になった「エイズ汚染された血液」を日本に売った「輸出元」)
なんかもう、ミステリ小説かよ!?っていうww。
陰謀がなかったとしても、製造過程に致命的な欠陥があるとしか思えませんね・・。
「生きた鳥インフルエンザウィルスが混入されたワクチン」
発見・・・というニュースをネットで拾ってから、周囲の人にもワクチン接種をはやまらないように呼びかけてます。
しかもこのワクチン製造元はバク☆ター社
(血液製剤事件で有名になった「エイズ汚染された血液」を日本に売った「輸出元」)
なんかもう、ミステリ小説かよ!?っていうww。
陰謀がなかったとしても、製造過程に致命的な欠陥があるとしか思えませんね・・。
ニューヨークで入浴
fumaki
Posted on 2010/2/18 15:44
昔は湯船で本を読んだりしましたが
最近は脳溢血が怖くて長湯できなくなってます。。
冬だし温度差が怖い
といつの間にか年をとったものです。
毎年インフルエンザを貰うのは
かかってても働かなければ給料もらえない確信犯と一緒に
満員の通勤電車に揺られている時ですが
今年は回避に成功。
とか言ってると貰っちゃうので気をつけなきゃ!
最近は脳溢血が怖くて長湯できなくなってます。。
冬だし温度差が怖い
といつの間にか年をとったものです。
毎年インフルエンザを貰うのは
かかってても働かなければ給料もらえない確信犯と一緒に
満員の通勤電車に揺られている時ですが
今年は回避に成功。
とか言ってると貰っちゃうので気をつけなきゃ!
Re: 負の連鎖
qupido
Posted on 2010/2/17 19:11
憂いあれば備えあり、備えあればどうしたって憂いは消えません。
悪循環のスパイラルというものは、そのような要素が供給されつづけ満載されてゆく間は続くものです。皆でそうしているのです。負の連鎖を打ち切る術は、手札を捲ればいつでもそこに見つかるような気がします。
「憂いなければ憂いなし」。それが自然だと思っている非(常に)常識的な私は、普段、意識的に左脳の開放を優先しています。ストレスとなる影響を受けない為に。
何かを恐怖の対象として脅威に感じることなど、別段私は日常にありませんし、求めもしません。それが自然で普通だからです。受けた悪影響を自身の中で反復させ、どんどん自身の能力を萎縮させていけば、結果として不調和の状態となります、万病の元になる不安やストレスが増幅されてゆく事を知っていて自身にそれを欠かさないようなことはしません。必要と思えない事をしなければいいだけのことです。それに「自分」が内圧としてきちんと働いてあれば、外圧に押し潰される事はありません。
私たちは怒りを持たなくても、それについて考える事が出来ますし、私たちは問題を抱えなくても、よりよい生き方を目指す事は出来ます。
自然な状態を欠き、身体的にも精神的にも、自然に即さない状態が長びけば、身体にバランスを欠くのは当前と言えます。不自然な生き方をして、そのようにして人々がどんどん不調和を招き促進すれば、人の世の中は自然な流れで衰退していくのは当然の事と言えるでしょう。
こうして世の中を見てみれば、蒔かれるのは病気そのものでなくとも、その原因となる、怒りや不安要素となる問題を人々の耳元に流せば、勝手に世の中は悪くなっていく事が解ります。いくらそれが正義感を煽るものであっても(それは大抵ロクなものではありませんが)、世の不平さ、悪の実在、また如何に末期か悪魔的かの現れ、・・何でもいいですが、正当性を持って何をバラまかれていようと、私はなにひとつ気にする事無くそれを受けとることはしないでしょう。
「騙されてくやしくないのか」
「怒らないのは人間じゃない」
それを受け止めて何が出来るのかと言えば・・、一体何が出来るというのでしょう。目には目を、歯には歯を、天使のマフィア化ですって?
そのどれもが人々を不安に陥れる意見としか見当つきません。それもまたマインドコントロールでしょう。
私から見ればそれは、病原菌を体に受け容れて病気になってから病気を退治しようとしているかのようです。そうそう、物事には必ず二つの面があります。マインドコントロールにもプラシーボ効果に代表されるように、暗示薬として効果は確かなものであり、洗脳と名がつけばそれは悪の代名詞です。
病気になりたく無ければ何を信じればイイのでしょう。それは医療や、薬の確かさに目をやる事でしょうか? それとも周囲に設置された除菌スプレーとマスクに安堵する事? 確かそれらを目にする事で潜在的に病気を体内に作り上げてしまうと云う事でしたね。プラシーボ効果は、必ずこれで快方に向かうのだと信じきり、期待した者だけに現れる効果です。ではその真逆はなんでしょう。病気の存在を強く肯定すればどうなるでしょう。
何を目にしても、そこを笑って通り過ぎればイイということでしたよね。
皆さんは何を信じているのでしょうか。
ツィートで確か、プリウスが欠陥車かのように大きく取沙汰されてリコール騒ぎに迄なったのは、相変わらず「脅威をバラまく人々」の所為だと問題視されていましたが、あらまぁ。本当に魅力あるものを欲しい人はそれを買うのでしょうね。完全に安全性が世界に向けて立証されたら、それはもうパーフェクトな商品となるでしょうね。良い方向に転じる事を願えばそれは叶うでしょう。オーナー自ら不安を煽るようになれば、その時点から「欠陥車のオーナーの可能性」として確率の中に数えられてしまう訳ですからね。不安はどんな形であれ、関わろうとするあらゆる媒介を通じて広まりますし、不明な事例を完全に釈明出来なければ、どれだけ正当性を掲げて行動しても逆効果であると思います。それは多くの政治家がしているように、言い訳すればする程ネガティヴな面が宣伝効果として現れるんじゃないですかね。噂は、それをこじらす人間の登場を待って発火する時限式のウイルス爆弾です。発端は、数軒有るか無いかの不具合によるものであっても、取り上げ方によっては、世間はやがて大きく問題視する。しかけられたら、それも好機に捉える事がいいのでしょうね。それでやはりすごい企業だと云う事になるでしょう。そうした事は人の人生のように、必ず波のように訪れるものではないですかね。とにかく、違った視点でものをいわない限り、悪影響を広めてしまうと云う事です。
私たちの誰もが、気付かないままに、他人の足を引っぱりあう存在に落ちぶれて行かない事を願います。快適な心身から繰り出す、「バージョンアップをありがとう」。世間がその、周囲に呑まれないユニークなスタンスだけに目を留めていられる事を願います。そうしたものが広まることを願います。逆に、「誰かを蹴落とした、嫌悪する発言」をして満足する所だけは見たいと思いません。そうした人間が増える事も願いません。それ程、人の世がつまらないものに見えることはありません。誰もが潜在的には自らの身辺の美しさと調和をを願っている存在である筈です。短絡的に差別化する発言をしたり、怒りをバラまく所を見ること程、不快に思う事はありません。だから私はそれを見ずに、見えない所を見たいと願います。
人々が調子を狂わせ、自ら墓穴を掘る為に用意するものは、何もウイルスそのものである必要は無いのだという事がわかりました。闇の暗躍者の存在を知らしめることも、そうした存在に敵対しよう、怒りを持とうと呼びかける事も良い方法です。世界を不和で蔓延させるには、互いに敵対するものだけを見せればイイだけの事です。そして相手の弱い部分を突く事を学ばせればイイだけです。相手の短所にだけ目を留めればイイだけの事です(しかしそれで相手は短所を改めて改善し強化するでしょう)。鏡に映る牙を剥いた自分の姿も見せればいいのだと思います。インフルエンザであれ、それをバラまいている存在であれ、消費カルトへ対する怒りであれ、皆同じことです。
怒りで自分というものをどこかに置き去りにしたまま、他人を信用出来るも出来ないもあったものではありません。
自分とはなんでしょう。何かをものさし計る基準として指し示す事の出来る「自分」とは何でしょう。あなたは誰なのでしょう。私とは誰なのでしょう。悪とは誰で、善とは誰なのでしょう。何かを信用出来ないから何かを信頼したい、という人のどこに「基準」があるんでしょう。何が人々にとっての調和なのでしょう。私たちは何をもって和とするのでしょう。愛する人がもしそうした状態であり、皆がそういう状態であるとしたら、あなたもそこに混ざって、そうありたいと願うでしょうか。そうすればあなただけには拭えぬ違和感は消えるでしょうか。
ひとつの宇宙の産物としての、自然な人体の完璧な秩序へ私は信頼を寄せています。それなしに、自身の体が健康であることを心から感じる事など出来るとは思いません。私は喜んで私という存在を信頼します。自分を信頼し、他人を信頼する事なしに、人付き合いが心から楽しいと思えることは無いでしょう。それと一緒です。その人の問題はその人がまず解決出来る力を持っています。相手の短所を自身の長所を生かしてそれを補ってあげようとすればいいだけのことです。
あらゆる恐怖に打ち勝とうとして、事前にあらゆる前情報で、恐怖に慣れ親しんで置こうとするのもいいでしょう。世界中のそうした残虐非道な事件を求め探す毎日。結構な事です。そしてそれらを勉強し、結果恐怖に怯える毎日、もしくは怒りで震えが止まらない毎日。さぞその人にとっては満足のいく人生ではないでしょうか。ただ、それを提示されて「世の中ではこんなことが起きている。君は人としてくやしくないのか」と言われても私は「くやしくはありません」。何故なら、私は他人を「弱者」というレッテルに縛り付けたり、無能呼ばわりしたくないから。怒らなくても、それについて考える事は出来るから。自身の考えを他人に強要し、させようとする事は、誰にとっての満足いく人生といえるのか解らないから。
私たちの人生は、誰かに何かを奪われているから基本的に不幸であるのだとでもいうのでしょうか。
下向きの力を皆で飾り立てているようにしか見えないというのが私の率直な感想です。過去の歴史に学ぶ所あってマナパレタのでしょうが、それをただ繰り返しているだけに見えます。
悪循環のスパイラルというものは、そのような要素が供給されつづけ満載されてゆく間は続くものです。皆でそうしているのです。負の連鎖を打ち切る術は、手札を捲ればいつでもそこに見つかるような気がします。
「憂いなければ憂いなし」。それが自然だと思っている非(常に)常識的な私は、普段、意識的に左脳の開放を優先しています。ストレスとなる影響を受けない為に。
何かを恐怖の対象として脅威に感じることなど、別段私は日常にありませんし、求めもしません。それが自然で普通だからです。受けた悪影響を自身の中で反復させ、どんどん自身の能力を萎縮させていけば、結果として不調和の状態となります、万病の元になる不安やストレスが増幅されてゆく事を知っていて自身にそれを欠かさないようなことはしません。必要と思えない事をしなければいいだけのことです。それに「自分」が内圧としてきちんと働いてあれば、外圧に押し潰される事はありません。
私たちは怒りを持たなくても、それについて考える事が出来ますし、私たちは問題を抱えなくても、よりよい生き方を目指す事は出来ます。
自然な状態を欠き、身体的にも精神的にも、自然に即さない状態が長びけば、身体にバランスを欠くのは当前と言えます。不自然な生き方をして、そのようにして人々がどんどん不調和を招き促進すれば、人の世の中は自然な流れで衰退していくのは当然の事と言えるでしょう。
こうして世の中を見てみれば、蒔かれるのは病気そのものでなくとも、その原因となる、怒りや不安要素となる問題を人々の耳元に流せば、勝手に世の中は悪くなっていく事が解ります。いくらそれが正義感を煽るものであっても(それは大抵ロクなものではありませんが)、世の不平さ、悪の実在、また如何に末期か悪魔的かの現れ、・・何でもいいですが、正当性を持って何をバラまかれていようと、私はなにひとつ気にする事無くそれを受けとることはしないでしょう。
「騙されてくやしくないのか」
「怒らないのは人間じゃない」
それを受け止めて何が出来るのかと言えば・・、一体何が出来るというのでしょう。目には目を、歯には歯を、天使のマフィア化ですって?
そのどれもが人々を不安に陥れる意見としか見当つきません。それもまたマインドコントロールでしょう。
私から見ればそれは、病原菌を体に受け容れて病気になってから病気を退治しようとしているかのようです。そうそう、物事には必ず二つの面があります。マインドコントロールにもプラシーボ効果に代表されるように、暗示薬として効果は確かなものであり、洗脳と名がつけばそれは悪の代名詞です。
病気になりたく無ければ何を信じればイイのでしょう。それは医療や、薬の確かさに目をやる事でしょうか? それとも周囲に設置された除菌スプレーとマスクに安堵する事? 確かそれらを目にする事で潜在的に病気を体内に作り上げてしまうと云う事でしたね。プラシーボ効果は、必ずこれで快方に向かうのだと信じきり、期待した者だけに現れる効果です。ではその真逆はなんでしょう。病気の存在を強く肯定すればどうなるでしょう。
何を目にしても、そこを笑って通り過ぎればイイということでしたよね。
皆さんは何を信じているのでしょうか。
ツィートで確か、プリウスが欠陥車かのように大きく取沙汰されてリコール騒ぎに迄なったのは、相変わらず「脅威をバラまく人々」の所為だと問題視されていましたが、あらまぁ。本当に魅力あるものを欲しい人はそれを買うのでしょうね。完全に安全性が世界に向けて立証されたら、それはもうパーフェクトな商品となるでしょうね。良い方向に転じる事を願えばそれは叶うでしょう。オーナー自ら不安を煽るようになれば、その時点から「欠陥車のオーナーの可能性」として確率の中に数えられてしまう訳ですからね。不安はどんな形であれ、関わろうとするあらゆる媒介を通じて広まりますし、不明な事例を完全に釈明出来なければ、どれだけ正当性を掲げて行動しても逆効果であると思います。それは多くの政治家がしているように、言い訳すればする程ネガティヴな面が宣伝効果として現れるんじゃないですかね。噂は、それをこじらす人間の登場を待って発火する時限式のウイルス爆弾です。発端は、数軒有るか無いかの不具合によるものであっても、取り上げ方によっては、世間はやがて大きく問題視する。しかけられたら、それも好機に捉える事がいいのでしょうね。それでやはりすごい企業だと云う事になるでしょう。そうした事は人の人生のように、必ず波のように訪れるものではないですかね。とにかく、違った視点でものをいわない限り、悪影響を広めてしまうと云う事です。
私たちの誰もが、気付かないままに、他人の足を引っぱりあう存在に落ちぶれて行かない事を願います。快適な心身から繰り出す、「バージョンアップをありがとう」。世間がその、周囲に呑まれないユニークなスタンスだけに目を留めていられる事を願います。そうしたものが広まることを願います。逆に、「誰かを蹴落とした、嫌悪する発言」をして満足する所だけは見たいと思いません。そうした人間が増える事も願いません。それ程、人の世がつまらないものに見えることはありません。誰もが潜在的には自らの身辺の美しさと調和をを願っている存在である筈です。短絡的に差別化する発言をしたり、怒りをバラまく所を見ること程、不快に思う事はありません。だから私はそれを見ずに、見えない所を見たいと願います。
人々が調子を狂わせ、自ら墓穴を掘る為に用意するものは、何もウイルスそのものである必要は無いのだという事がわかりました。闇の暗躍者の存在を知らしめることも、そうした存在に敵対しよう、怒りを持とうと呼びかける事も良い方法です。世界を不和で蔓延させるには、互いに敵対するものだけを見せればイイだけの事です。そして相手の弱い部分を突く事を学ばせればイイだけです。相手の短所にだけ目を留めればイイだけの事です(しかしそれで相手は短所を改めて改善し強化するでしょう)。鏡に映る牙を剥いた自分の姿も見せればいいのだと思います。インフルエンザであれ、それをバラまいている存在であれ、消費カルトへ対する怒りであれ、皆同じことです。
怒りで自分というものをどこかに置き去りにしたまま、他人を信用出来るも出来ないもあったものではありません。
自分とはなんでしょう。何かをものさし計る基準として指し示す事の出来る「自分」とは何でしょう。あなたは誰なのでしょう。私とは誰なのでしょう。悪とは誰で、善とは誰なのでしょう。何かを信用出来ないから何かを信頼したい、という人のどこに「基準」があるんでしょう。何が人々にとっての調和なのでしょう。私たちは何をもって和とするのでしょう。愛する人がもしそうした状態であり、皆がそういう状態であるとしたら、あなたもそこに混ざって、そうありたいと願うでしょうか。そうすればあなただけには拭えぬ違和感は消えるでしょうか。
ひとつの宇宙の産物としての、自然な人体の完璧な秩序へ私は信頼を寄せています。それなしに、自身の体が健康であることを心から感じる事など出来るとは思いません。私は喜んで私という存在を信頼します。自分を信頼し、他人を信頼する事なしに、人付き合いが心から楽しいと思えることは無いでしょう。それと一緒です。その人の問題はその人がまず解決出来る力を持っています。相手の短所を自身の長所を生かしてそれを補ってあげようとすればいいだけのことです。
あらゆる恐怖に打ち勝とうとして、事前にあらゆる前情報で、恐怖に慣れ親しんで置こうとするのもいいでしょう。世界中のそうした残虐非道な事件を求め探す毎日。結構な事です。そしてそれらを勉強し、結果恐怖に怯える毎日、もしくは怒りで震えが止まらない毎日。さぞその人にとっては満足のいく人生ではないでしょうか。ただ、それを提示されて「世の中ではこんなことが起きている。君は人としてくやしくないのか」と言われても私は「くやしくはありません」。何故なら、私は他人を「弱者」というレッテルに縛り付けたり、無能呼ばわりしたくないから。怒らなくても、それについて考える事は出来るから。自身の考えを他人に強要し、させようとする事は、誰にとっての満足いく人生といえるのか解らないから。
私たちの人生は、誰かに何かを奪われているから基本的に不幸であるのだとでもいうのでしょうか。
下向きの力を皆で飾り立てているようにしか見えないというのが私の率直な感想です。過去の歴史に学ぶ所あってマナパレタのでしょうが、それをただ繰り返しているだけに見えます。
Re: 1984-2-12
niwan
Posted on 2010/2/17 11:50
平沢さんこんばんは。
ばら撒かれるのも嫌ですし、他人の金儲けやらナワバリ争いやらに加担してやるのも嫌なのですが…
見渡す限りは人間の存在しない海で、御近所から入手した鹿の肉を鳶と猫の群れと分かちあっていると、「おま、それをお前が考えてどーすんの?」と突っ込む自分がいます…感染も何も、人がいないorz
いやいやいや、考える事は無駄では無いハズ。と気を取り直して明日も海辺をさまよってみます。
ばら撒かれるのも嫌ですし、他人の金儲けやらナワバリ争いやらに加担してやるのも嫌なのですが…
見渡す限りは人間の存在しない海で、御近所から入手した鹿の肉を鳶と猫の群れと分かちあっていると、「おま、それをお前が考えてどーすんの?」と突っ込む自分がいます…感染も何も、人がいないorz
いやいやいや、考える事は無駄では無いハズ。と気を取り直して明日も海辺をさまよってみます。
Re: 1984-2-12
shirokitora
Posted on 2010/2/16 14:26
インフルエンザかからなかった。
Re: 1984-2-12
0xh32541060155n
Posted on 2010/2/13 14:09
なんとタイムリーなことに、先日うちの職場で、
インフルエンザに感染した人が出現したことが判明。
慌てて従業員全員にマスクを配布し始めましたが、
それ、ってもう手遅れなんじゃあ。。。??(--;
当のインフル感染者は会社休んでるし。
今頃マスクしても、あんまり意味ないのでは。。。
とか思ってみたり。(^^;
平沢さんも、お風邪など、体調崩していませんか?(心配;;)
生姜紅茶しこたま?飲んで、お身体あっためてくださいませに。(>_<)
インフルエンザに感染した人が出現したことが判明。
慌てて従業員全員にマスクを配布し始めましたが、
それ、ってもう手遅れなんじゃあ。。。??(--;
当のインフル感染者は会社休んでるし。
今頃マスクしても、あんまり意味ないのでは。。。
とか思ってみたり。(^^;
平沢さんも、お風邪など、体調崩していませんか?(心配;;)
生姜紅茶しこたま?飲んで、お身体あっためてくださいませに。(>_<)
1984-2-12
eternalsunshinesuperdofun
Posted on 2010/2/13 5:57 | Last modified
1984年2月12日、齢にして26歳、
どなたなんでしょうかねぇ(◯−ω−◯)
どなたなんでしょうかねぇ(◯−ω−◯)
Re: 1984-2-12
u_nyon
Posted on 2010/2/13 3:25
『お風呂』+『Ω ΩΩ<ナ ナンダッテー!!』
=すぐに実践!家庭でできるやさしい平沢式健康法
=すぐに実践!家庭でできるやさしい平沢式健康法
Re: 1984-2-12
qupido
Posted on 2010/2/12 17:14
MMSの輸入代行販売は面白いかもしれない。それは、うまくすればアフリカのマラリア撲滅運動に一役買うかもしれない。現在のアフリカ政府が協力的でその効果の実証性を認識しているというなら、子供たちにワクチンをではなく、「子供たちだけでなく皆にMMSを」となるかもしれない。その効果の実証性が内外へと広まれば、素晴らしい成果を期待して、活動的な人々が現れるかもしれない。人々は、まずその治療の安価さに驚くかもしれない。そしてあらゆるウイルスだけが酸化して死滅するしくみを知って、驚くかもしれない。そして、これまでの常識の信頼性に対する自身の非常識さを知って驚くかもしれない。方々から新たな期待が生まれて、フェアトレード活動に従事するボランティア団体がさらに増えるかもしれない。アフリカ政府を中心として、国内外のボランティア活動家らが、効果を実証した子供らを通して、世界に明るい要素を広めるかもしれない。不安要素が消えて、新たな経済力が沸き起こるかもしれない。経済に対する運動が激化して、他国との強力な経済のパイプが生まれるかもしれない。狭間に立って搾取する人間が押しやられ、無益な垣根が完全に取り払われるかもしれない。真の循環型社会への到達すべき姿にむけて拍車がかかるかもしれない。
Re: 1984-2-12
apple25
Posted on 2010/2/12 12:45
職場命令でワクチン接種いたします。ぬー・・・いまさら…


